Profile

 

プロフィールというより、わりと壮大なスケールでお届けするZONOの経歴、職歴、プー歴です。
※年号は記憶が定かでないので、1、2年のずれはあると思います。


1962 年〜1980年(千葉の神童時代)

 

zono_g07.jpg1962 年 福岡県に生まれる。

1967年 5歳のとき、金子美香ちゃんという子に初恋。

1968 年 アポロ11号が月面に着陸した日、千葉に引っ越す。

1970年 小学校のオーケストラに参加。担当はトランペット。このとき、音楽に目覚める。洋楽にもハマり5,000円のガットギターを買ってもらう。

1973 年 読売新聞 全国読書感想文コンクールで佳作を受賞。夏休みの宿題だった読書感想文を8月31日になってもまだ書いておらず、あせって教科書に載っていた宮沢賢治の 「虔十公園林」を読んで書いた。

1974年 千葉日報 作文コンクールで優勝。オイルショックの折、「資源のムダ使いをなくす」がテーマだった。「寒くても朝はストーブを点けないようにしています」などと、 やってもいないウソ八百を書いた記憶がある。

1977年 当時つきあっていた彼女とデートを重ねる日々で、高校受験に失敗。偏差値37、クラスの6割が暴走族というすごい高校に入学。ここで人生の重要な部分を学 んだ。
※すべり止めを受けていなかったため、たしか、入学式の前の日に試験を受けて裏口入学したはず。「植木(20万円)を寄付してくれ」と言われた。

1980 年 青山学院大学英米文学科に入学。ここから、本格的な音楽活動が始まる。


1981年〜1991年(ミュージシャン時代 その1)

 

1982 年 総取得単位16で、同大学を退学。バンド活動とギャンブルに明け暮れる。

1985年 最初のまともなバンド「The Bennets」を結成。60 年代ガレージパンク、サイケデリック系の音だった。自動車のマツダが主催するバンドコンテストで準優勝する。
※あの、聖飢魔IIもほとんどいまと同じ格好(昔は大魔神もいた)でこのコンテストに出ていた。審査員特別賞だった気がする。

1987 年 映画『ハワイアンドリーム』のサウンドトラックに参加。音楽監督だった加藤和彦氏の自宅でレコーディングした。ビートルズやベンチャーズ、ジェファーソ ン・エアプレインなどのカバーをクリソツに演奏し、加藤氏を唸らせた。

1988年 当時、わりとステータスの高かった「パルコ・ライブアワード」で準優勝。なぜか、準優勝が多いバンドだった。フジパシフィック音楽出版と契約。クラブ・ク ワトロ、川崎クラブチッタなどにガンガン出演した。

1989年 雑誌『SWITCH』が主催するレーベルより、ファーストアルバム『PREFLIGHT』をリリース。
※この年、友人のバンドの手伝いでイカ天に出演。吉田健氏に「ギターかっこいいね」とほめられてベストプレイヤー賞をもらった。たしか、このときのキング は「宮尾すすむと日本の社長」だったはず。

1990年 同レーベルがリリースした『ADVENTURES in “Turn To The Pop”に参加。オリジナル1曲とあの名曲『マイ・フェバリット・シング』をサイケデリック風にアレンジしたカバーが収録されている。

1991 年 四人囃子の岡井大二氏がプロデューサーになってくれた。のちにメジャーデビューするL+Rというバンドも同じ岡井門下生で、よく一緒に遊んだ。以後、岡井 氏とは2年にわたって行動をともにする。
※岡井さんはあの竹中尚人氏(チャー)をライブに呼んでくれたこともある。たしか、原宿クロコダイルだった。ウォッカでベロベロに酔っぱらったチャーはわ たしを抱きしめて「おまえの愛することをやりなさい」と言ってくれた。


1992 年〜1995年(ミュージシャン その2とプー時代)

 

1992年〜1993年 The Bennetsを解散。その後、2年間で「This Magic Moment」(当時はやったマンチェスターサウンド系)「99Speed」(ソウルジャズ系)の2つのバンドを結成。芝浦インクスティック、下北沢シェ ルター、新宿ロフトなどでライブ活動を行う。東芝EMIのディレクターの目にとまりデモを録音するところまで行ったが、リリースにはいたらなかった。
※このころがもっとも食えなかった時期。いわゆるプー太郎に近かった。バイトもいろいろやったが、主な収益はもっぱらパチンコと麻雀だった。ギャンブルの 修羅場を垣間見たのもこのころ。当時、同棲していたいまのカミさんの1か月分の給料を1日ですったことがある。彼女は泣きながら「ヒドイよ」と言った。本 当に申し訳なかったといまは深く反省している。消費者金融からの借金も400万くらいにふくらんでいた。よくもまぁ、捨てられなかったものだと思う。

1994 年 最後のバンドとなる「マダムピラニア」結成。メンバーは元PINK、現ラルク・アン・シエルのプロデューサー、岡野ハジメ(bass)、ヤプーズの泉水敏 郎(drums)、ファッションデザイナーでもあるDAKEちゃん(vocal)、そしてわたし(guitar)。ベンチャーズとディープパープルと ショッキング・ブルーとB-52’sをぐわぁーっとミックスしたような最高にイカしたバンドだった。

1995年 マダムピラニアも解散。スタジオミュージシャンのようなこともやってみたが、まったく適性を持ち合わせておらず、失敗続き。潮時かなと思い、第2の人生を 考え始める。小学生のころに作文がうまかったことを思い出し、文章を書く仕事をやることに決めた。持っていたアナログレコード2000枚を売却した金でパ ソコンを買う。そして、運命的なインターネットとの出会い!


1996 年〜2002年(インターネット時代)

 

1996年前半 狂ったようにパソコンとインターネットにハマる。1日に20時間くらいはキーボードを触っていた気がする。ありとあらゆる教本を読みあさり、HTMLは完 全制覇、C言語で簡単なプログラムを書けるまでになった。
※食うためにソフトバンク流通という会社で働いた。倉庫でめちゃくちゃ重たいソフトを梱包して佐川急便に渡すという超肉体労働。1日10時間働いて月給 20万円弱だった。職場では「くらぞの」を聞き間違ったのか、「フラボノさん」と呼ばれていた。

1996年5月 株式会社インプレス入社。インターネットマガジン編集部に配属。就職雑誌で見つけた求人に応募。33歳、未経験で奇跡的に採用された。

1999 年4月 3代目インターネットマガジン編集長に就任。

2001年X月 500万からあった借金を全額返済。さわやかな気分だった。
※以後、ローン、借金、クレジットカードでの買い物は一切しないと心に決めた。いつもニコニコ現金払いが一番だ。もし、家や自動車を買うとしたら、それが 買えるだけの現金を持って行って「これください」と言うつもりだ。現金がなければ絶対に買わない。

2002年11月 株式会社インプレス退社。どうしても、もう一度音楽をやりたくなった。編集ではなく、自分の作品として文章を書きたくなった。41歳という年齢を考えると ビビるが、やらないで終わるほうがもっとビビると思った。


2003 年〜2010年(Just Now)

 

sugoi01.jpg 2003 年 「マダムピラニア」のボーカリストだったDAKEちゃんと「DAKE& ZONO」結成。カフェ、バー、レストランなどで精力的に音楽活動を再開。

2004年 大橋禅太郎との共著『すごいやり方」(扶桑社)を発行。

2005年 現KDDIウェブコミュニケーションズ顧問に就任。

2007年 ビジネス2.0を提唱する、阪本啓一率いるコンサル軍団「JOYWOW」に参加。人生とビジ ネスにおける「あり方」 を説く『男塾』をスター ト。

2009年 「DAKE & ZONO」活動休止。ZONOとしてソロ活動を開始。『JOYWOW“あり方”の教科 書』(JOYWOW)発行。

2010年 新ブログ『zonostyle』開始。ソーシャルメ ディアを活用したコンサルタント、地域活性化、新たな音楽活動などを精力的に行っている真っ最中!